吉本ばなな『哀しい予感』


 「うるさいなぁ、何やってんの。」
 パンをかじりながら、私は哲生に近づいていった。
新聞紙を広げた上に板を何枚も重ね、そばにはペンキの缶を置き、ぎこぎこと板を切っていた。
 「犬小屋、作ってんだ」
 と哲生は言い、足元にある木の粉にまみれた図面をあごで指した。
 「もらうのって、小犬じゃないの?」
 図面を拾い上げ、その小屋のサイズの大きさにびっくりして私は言った。
 「そのうち大きくなるって、そのくらいに。」
 と哲生は言い、また、木を切ることに熱中しはじめた。
 「大は小をかねるって言うしね。」
 私が笑うと、
 「頭いいな、弥生。」
 と彼は顔も上げずに笑って言った。日差しに照らされた哲生の手元を、かがんでしばらく見ていた。
 私はこの弟を本当に大好きだった。もっとも、彼を嫌いになれる人はそんなにはいない。哲生はそういう子だった。私たちはずっと、男女の姉弟としては信じられないくらい、仲良く育った。私は彼をかなりずさんに扱ってきたが、心のそこではその物事に対する無垢な熱心さを尊敬していた。彼は生まれつき、自分の内面の弱さを人にさらさないだけの強さや明るさを持っていて、何にでも恐れを知らずにまっすぐぶつかってゆくことができた。今は高3で受験生だが、誰も心配なんかしていなかった。楽しそうに問題集を山ほど買ってきて、片っ端からゲームのように解いてゆく彼にとって、自分の学力にきちんと合った大学にパスすることは、当たり前のように見えた。悩んでいるひまに手を動かせるこの子が、ずっと、うらやましかった。彼には単純でバカな部分もあったが、特別な少年だった。親も親類も口をそろえて言う。もしも人に、もともとの魂が美しいということがあるなら、人としての品格が高いということがあるなら、それは哲生だね、と。
 吉本ばななを読めばライトノベルと、ライトノベルではないものとの区別がつく。

BBS