子供の純粋さ+大人の忍耐力=完成した人間 物事にたいして肯定的に我慢してみる。言われたことを肯定的に受け止める必要はあまりないが、我慢にたいして肯定的に取り組むことはよい行になる。忍耐することによって寛容さが生まれる。 自我をなくせば楽になる。自我によって自己を補強している人もいるけれど、頑固になるのと不動になるのとは違う。頑固な人のばあい、批判されては瞋恚を起こし、ますます頑固になってゆく。反対に自我を遠ざければ風波が立たず、次第によいものが見えてくる。自我をなくすことによって自然と調和した自己でいられるとわかればたとえ誰に何を言われても、自己を補強する必要なんてないように思えてくる。そんな不動心はたぶん、初歩の段階なんだろうけど。 自我を無くせば楽になる。といっても無我と白痴は別。またフロイトとしての自我は「超自我とエス、および現実世界からの要求を調整するもの」だから必要だ。無くすのは我。我を張ることとか。 |
仏説聖不動経 不動明王は大威力あり 大悲の徳のゆえに 青黒の形をあらわし 大定の徳のゆえに 金剛石に座し 大智恵のゆえに 大火焔をあらわす 大智の剣をもって 貧瞋癡(とんじんち)の三毒を断ち 三昧の縄をもって 暴れる心を捕らえる 不動明王は大日如来の化身で その住居はなし ただ信ずる人の心の中に住す 人々の願いは千差万別である 不動明王は人々の意に従って利益をなす 心の中に住す そのうちに不動心が生まれる |