想ひ出につひて

 僕は日記をこと細かく書き続けていた。想い出が消えるのが嫌いで。本当は神仏がすべての想い出を記録しておいてくれたら一番良いのだけど。2000年頃、デジタルカメラがこの世に登場し、画質も既に良くて普及していた。当時高額だったが日記代わりに買った。フイルムカメラも持っていたけど現像代がかかるから性に合わなかった。今は一眼レフが3台ある。カメラは想い出を残すため。作品を残さないのに一眼レフなんて無用の長物だろうか。
 歳を重ねる毎に日記を書かなくなってしまった。生きている間じゅう記憶量が増え、使える脳細胞は減り、目に映るものを単純化するために法則を練るようになって、変わったんだなと思う。神仏は想い出は記録しないが因縁の法則のとおり行為の影響は永遠に敷衍してゆく。2000年頃は新しい店に食べに行けば写真を撮っていた。今は10回ぐらい食べて想い出深くなったもののみ保存している。
 20歳ごろは、パソコン使いたてで、まだネットが新鮮だった。ヤフーオークションやりはじめて出品者のIDも落札額も保存したhtml見るとちゃんと覚えている。2ちゃんねるの世界もすごい精神集中の中を生きていた。大学〜高校〜中学〜と溯ると、授業中に風が吹いて涼しかった。4時間目の終わり、給食のにおいがしてきたこと。去年の国語の教科書を読めばうわあっと感傷的になっていた。音楽会のクライマックスのあの曲。かわいい子の泣くところが見たかった事。もう忘れているが、あの頃に開拓した快楽が趣味で目標になっている。当時は精神的感覚をより好みできた。それくらいありふれていた。でも今はそれが新しく得られないので、今までに生み出した精神的感覚をすべて貴重に温存しようと努力している。ちょっとでも恥ずかしかったら抹殺しようとしていたあの頃が懐かしい。ある匂いを好いて、酩酊していることを恥じて、その匂いを好きじゃないようにしてきた。僕は本当に幸せだった。あの頃を思い出すとき、言葉記号のみではなく、空間全体として心情の様態まざまざと髣髴とされたら、自我が崩壊するほど恍惚とカタがあるだろう。
ラヴェル
高雅で感傷的なワルツ


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