肉体と精神は同調しており身体の柔らかい人は心も柔軟である。
知識はまず素直に受け入れ吸収する。咀嚼してから取捨しても遅くない。 我執に凝り固まっていては伸びることはない。


日本語の場合、名詞に複数形がないから揚げ足を取りやすく不毛に続い ているだけのものも多い。中庸の感覚や、絶対音感のない者は反論する に極論に走る。なんのために反論をするのか、その動機に問題がある。 自分の頭の回転速度とでも言いたいのだろうか、間髪入れずに反論する 人に説得力があったためしがない。反対意見があったらうーんと深慮し て、数日後「この前の件だけど」と持ち出してくる人のほうが切実だと 思う。単にねちっこいだけかもしれないけど。
議論目的の持論が通ったからといって世界が改善されることはまずない。 それは自論だからだ。どんな大義名分に纏われようが解体すればそのほ とんどは勝ち負け等の個人的な問題である。衒学的な難解な表現と言っ てることの中身のなさが乖離し、滑稽さを引き起こしているから勝ち負 けの問題なのだと思う。糞の役にも立たない議論に勝つか、負けて時間 を得るか、どちらが賢いか。どうせ議論に勝っても金斗雲には乗れまい。
相手が引っ込みさえすれば気分爽快で眠れるのなら、粘着以外のなにも のでもない。



人間は自分の理解を超えたものは無化する傾向にあるが、音感は素養によるもの。文学、芸術、宗教などはその中身に呼応しなければ馬の骨である。

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